ジョン・グールドの鳥類図譜

~19世紀・イギリスの至宝~

19世紀のイギリスはまさに「博物学」の全盛時代でした。

1804年生まれで、剥製師として名をなしたジョン・グールドはこの大きなうねりの中で、当時発明されて間がない石版画の技法をいち早く取り入れ、妻エリザベスにそれを習得させ、そこに1枚1枚丁寧に手で彩色した「鳥類図譜」の制作に取りかかりました。
 その最初に刊行されたのが『ヒマラヤ山脈百鳥類図譜』(1832年)です。

ジョン・グールドが制作した鳥類図譜は以下の通りです。

  • ・ヒマラヤ山脈百鳥類図譜(全1巻 80点)
  • ・ヨーロッパ鳥類図譜(全5巻 448点)
  • ・オオハシ科鳥類図譜(全1巻 34点)
  • ・キヌバネドリ科鳥類図譜(全1巻 36点)
  • ・オーストラリア鳥類図譜(全8巻 681点)
  • ・アメリカ産ウズラ類鳥類図譜(全1巻 32点)
  • ・ハチドリ科鳥類図譜(全6巻 428点)
  • ・アジア鳥類図譜(全7巻 520点)
  • ・イギリス鳥類図譜(全5巻 367点)
  • ・ニューギニア及びパプア諸島鳥類図譜(全5巻 320点)

ジョン・グールドは 「鳥類図譜」制作の当初から、大きな鳥も実物大で描写することを目指し、インペリアル・フォリオ判(約56×39cm)というサイズを選びました。
 そのため各巻の重量も相当なもので、全40巻の重さは500kgにもなります。

ジョン・グールドはエドワード・リアなどの優れた画家や、当代一流と言われた石版師ハルマンデルの石版工房を仲間に加えて工房としての組織を固め、その一方で予約販売の方法で貴族など当時の上流階級に販路を広げて行きました。

購入した人達は、少しずつ分納される鳥類図譜が1冊分まとまると、それを行きつけの製本師に持ちこみ、思い思いの趣向を凝らして美しく装丁させました。

そのため今回収集事業を完了した「玉川大学本」は、全40巻39冊(合本1)の装丁がそれぞれ異なるという贅沢な特色を持ったものとなっています。

精密に描かれた2946図に及ぶ鳥の中には既に絶滅したものも、絶滅が危惧されている種もあり、鳥たちの習性の描写と共に学問的にも貴重なものになっています。またこの鳥たちとともに描かれている植物も同じように、美しさばかりでなく植物学上でも貴重です。
 更に絵画としての構成もすばらしく、19世紀のイギリスのボタニカルアートとしても価値の高いものとされています。



ヒマラヤ山脈百鳥類図譜

A Century of Birds from the Himalaya Mountains

制作
ジョン・グールド
原画・石版制作
エリザベス・グールド
解説文
ニコラス・ヴィガーズ
 
石版手彩色
56.3 X 38cm
全1巻
80図版
1831-32年

グールドの鳥類図譜第一作目は、ヨーロッパに初めて届けられたヒマラヤ地域の1標本を元にして描いた『ヒマラヤ山脈百鳥類図譜』であった。

ヒマラヤ山脈は、パキスタン・インド・チベット・ネパール・ブータンの国境付近に位置する。幅約200kmの狭さに8000m級の山々を抱え、様々な気候の影響下に置かれているヒマラヤ地域は、豊かな植生に恵まれ、それが鳥類の種類の多様性につながっているのだ。

20分冊にわけて出版された全1巻80図版中に、72種102羽が描かれているが、2羽については2度にわたって描かれているため、実際に紹介されているのは表題の通り100個体である。

殆ど実物大の鳥が描かれた大判図版(インペリアル・フォリオ版)は、下部中央に鳥の学名、左下部に絵師のクレジット「Drawn from Nature and on Stone by E.Gould」、右下部に印刷者のクレジット「Printed by C.Hullmandel」が入る構成となっており、この形はその後の図譜においても基本的に引き継がれている。絵師のクレジット部分の「from Nature」 は、「野生の鳥をそのままに写生した」という意味ではなく、「剥製にされた個体をもとに写した」ということを意味している。野生の鳥を観察してそれを描写するようになるのは、基本的に19世紀半ば以降のことであり、それより前の時代には、推測や文献の文章を頼って描いたり他の挿絵から写したりしたものではなく、実際の表皮で作製された剥製をもとに描いたということが、「実物」の証となっていたようである。

巨大なオオサイチョウから小さなキバラシジュウカラまで、様々な種が扱われているが、ことに色彩的に美しいのはルリオタイヨウチョウであろうか。この鳥の学名Aethopyga gouldiaeは、ヴィガーズがグールド夫人エリザベスの鳥類学への貢献を讃えて命名したものである。

初作品は、グールドの商業的才覚も発揮され経済的にも見事な成功を収め、その後に続く一連の図譜出版の大きな足掛かりとなった。なおこの図譜においては鳥類の英名の記載はない。

グールドはこの最初の図譜を、国王ウィリアム4世とアデレード王妃に捧げている。

ヨーロッパ鳥類図譜

The Birds of Europe

制作
ジョン・グールド
原画・石版制作
ジョン・グールド、エリザベス・グールド, エドワード・リア
 
石版手彩色
55.7 X 39.4cm他
全5巻
448図版
1832-37年

初作品の『ヒマラヤ山脈百鳥類図譜』が出版最中から大成功を収めていたにも関わらず、グールドはその完結を待たずして次の作品に取り掛かった。それは、前作の購買者から、自国の鳥、ヨーロッパの鳥類を描いた作品を要望する声が数多く寄せられたからで、グールドはより身近な地域を題材とした、より大きな作品を手掛けることにしたのである。

グールドは、この作品の中で英国の鳥以外にもヨーロッパの希少種を紹介したいと考え、手元の標本を調べるだけでなく、エドワード・リアや妻エリザベスらと共にオランダやドイツなどの諸都市を訪ね、動物園や博物館で最新の情報に触れた。絵は前作に引き続きエリザベス、そしてエドワード・リアが担当した。

図譜は全5巻、22分冊にて出版され、448図版中に460種が描かれている。グールドは序説の中で、当時のヨーロッパの鳥類を462種としており、幾種か来たアメリカからの迷鳥などを含めてはいるが、ほぼその時代のヨーロッパの全鳥類を網羅していたことがわかる。図版リストにおいてグールドは、猛禽類、棲禽類、鶉鶏類、渉禽類そして水鳥類の大きく5つに分類しており、第1巻を猛禽類、第2,3巻を棲禽類、第4巻を鶉鶏類、渉禽類、第5巻を水鳥類にあてている。この「類」でおおまかなくくりをする分類方法は、30年後の『イギリス鳥類図譜』でも採用されているが、これ以外のオーストラリア、アジア、ニューギニアの鳥類図譜においては用いられていない。

この著作は、「ロンドン動物学協会評議会の貴顕紳士」及び同会会長である13世ダービー卿に捧げられた。

オオハシ科鳥類図譜

A Monograph of the Ramphastidae,or Family of Toucans

制作
ジョン・グールド
原画・石版制作
ジョン・グールド、エリザベス・グールド, エドワード・リア
 
石版手彩色、石版墨刷
56.2 X 38.0cm
全1巻(キヌバネドリ科鳥類図譜と合本)
34図版(石版手彩色33図版、石版墨刷1図版)
1833-35年

グールドの図譜の中で、特定の科や類に焦点を当て全種を網羅して描いたものが幾つかあるが、これはその最初のモノグラフである。エドワード・リアの世界初のモノグラフ「オウム・インコ科鳥類図譜」が影響を与えていたのは、疑う余地もないだろう。リアのモノグラフは完成を見るまでに至らなかったが、グールドは、この方式を南国のカラフルで個性的な鳥で試みたのである。

オオハシの仲間は中南米の熱帯雨林に生息し、異常なほどの大きな嘴をもったユニークな姿が特徴で、最大のものでは全長の約3分の1の長さにも及んでいる。果物や種子、昆虫などを餌にし、樹の洞で営巣する。グールドは『ヨーロッパ鳥類図譜』出版最中から、この仲間について標本収集にいそしみ、ヨーロッパ各地の博物館を訪れた際にも様々な資料を集めて準備を整えていた。

当時、英国国内で生きているオオハシを見ることは非常に難しかった。『ヒマラヤ山脈百鳥類図譜』の解説文を書いたニコラス・ヴィガーズが、自宅でオニオオハシを飼育しており、図版の中には、彼が『動物学雑誌』に詳しく記載した生態などを参考にして描いたと思われる構図もあるが、グールドが参考にしたオオハシのモデルはすべて標本であった。

図版はエドワード・リアが10枚、残りをエリザベスが描き、全33図版を3分冊にわたり出版した。基本的に雌雄2羽、実物大で描かれた2属33種のオオハシは、その多くが図版化されたのも生物学的に紹介されたのも世界的に初めてであり、画期的な作品となった。約20年後に新種を加えた補遺版が出版されるが、この初版、補遺版と共にG.シャープ画の嘴や足などの部分図と、R..オーウェンによるオオハシの解剖学的構造に関する報告が付されている。初版、補遺版と共にオランダの鳥類学者テミンクに捧げられた。

玉川大学教育博物館は初版を、山階鳥類研究所が第2版を所蔵している。

キヌバネドリ科鳥類図譜

A Monograph of the Trogonide,or Family of Trogons

制作
ジョン・グールド
原画・石版制作
ジョン・グールド、エリザベス・グールド, エドワード・リア
 
石版手彩色
56.2 X 38.0cm
全1巻(オオハシ科鳥類図譜と合本)
36図版
1836-38年

オオハシ科に次ぐ2番目のモノグラフで扱ったのは、その鮮やかな羽色とは対照的に熱帯雨林の樹上に隠れ住み、当時殆ど野性で観察されたことのない鳥であった。玉虫色の羽色をしたキヌバネドリの仲間は、世界の鳥類の中でも最もきらびやかな色彩を持つと言えるかもしれない。

キヌバネドリは、中南米、アフリカ、アジアの熱帯雨林に生息し、餌は主に果実が多いが、アジアキヌバネドリ類は主に大型昆虫や小型脊椎動物を捕食する。生活様式を把握するのが難しく、いまだに営巣地や卵が発見されていない種も少なくない。近年、生息地の森が開発や山火事により減少し、種の存続が脅かされている。

グールドは、ヨーロッパの博物館や海外から入手した外皮だけをモデルに、1属34種を36図版に描いており、23種がアメリカ、10種がインド、1種がアフリカ産である。種数に対して図版数が多いのは、内2種について成鳥と若鳥を1枚ずつ描いているからだ。1図版内に雌雄若鳥と3羽を描いたものもあるが、これは、キヌバネドリが、性別・年齢によって羽色が異なるためで、グールドは、キヌバネドリを分類するのは「混乱という迷路に入り込むようなもの」と書いている。入手した外皮を何度も見比べながら、グールドは一つ一つの種を同定していったようである。

図版は1枚を除きすべてエリザベスが担当している。エドワード・リアが描いたTrogon gigasは、グールドによると「大変珍しい種で、標本が手に入らなかった」ため、フランソワ・ルヴァイヤンの『カッコウとエボシドリの博物誌』に掲載された挿絵を模写したものである。

本図譜は、グールドが博物学に興味を抱いた頃に励ましを受けたイートン校学寮長、ジョセフ・グドール氏に捧げられた。

オーストラリア鳥類図譜

The Birds of Australia

制作
ジョン・グールド
原画・石版制作
ジョン・グールド、エリザベス・グールド, H.C.リヒター他
 
石版手彩色、石版墨刷
56.2 X 38.5cm
全8巻
7巻 600図版
1840-48年
/ 補遺1巻
81図版
1851-69年

グールドの鳥類図譜の中で、最大の図版数を有し、最も高価で最も労力のかかっている作品として位置づけられるのは、この『オーストラリア鳥類図譜』である。

グールドのオーストラリア産鳥類への関心は、現地に移住したエリザベスの二人の兄から送り届けられた美しい標本を見たときに始まる。殆どの鳥が新発見種であり、グールドは1837年から1838年にかけて、この鳥たちの頭部だけを描いた『オーストラリア鳥類概説』をまとめ、さらに『オーストラリア鳥類図譜』の出版も始めた。しかし2分冊を出した時点で、必要な情報があまりにも少ないことを痛感し、出版を打ち止め、自ら現地に赴くことを決意するのである。

19世紀半ばのオーストラリアは、大陸全体の探検すらままならず危険を伴う遠征であったが、妻エリザベスと7歳の長男を連れ渡豪したグールドは、滞在した19か月の間、タスマニア及び近隣諸島、南オーストラリアや義理の兄弟たちの住むニュー・サウス・ウェールズにおいて鳥類の生態研究を精力的に行った。

1840年8月に帰国したグールドは、同年12月には『オーストラリア鳥類図譜』第1分冊を刊行、その後残りの35分冊を8年の歳月をかけて出版し、全7巻600図版にいたる大作を仕上げた。これまで知られていたものに新たに300種以上を加えた599種の鳥類が記載された。図譜の中には、近隣のニュージーランド及びニューギニア産鳥類も一部描いている。図版は、エリザベス作が84枚、彫刻家として著名で自然史画家でもあるウォーターハウス・ホーキンズとエドワード・リア作が1枚で、残りをこの図譜から新たに加わったヘンリー・コンスタンティン・リヒターが描いている。

現地調査に基づいた研究書としても密度の濃い解説文を施した『オーストラリア鳥類図譜』と、その後に81枚の図版を伴い出版されたこの図譜の『補遺』 (supplement)は、新大陸の鳥類を紹介する包括的な著作としては始めての試みであり、現在でも歴史的な記録価値を誇っている。「オーストラリア鳥類学の父」とも呼ばれるようになったグールドは、1843年、この出版最中に王立協会のフェローに選出され、ついに鳥類学者としても世間に認められる存在となった。

しかし、この過酷な旅を伴う出版事業は、その調査中に動植物収集の協力者として参加したジョン・ギルバートを始め3人の犠牲者をだし、何よりグールドにとって最も悲しむべきことに、帰国後1年にも満たずして、6番目(死亡した子供も含めると8番目)の子供を出産した4日後に妻エリザベスを失うこととなったのである。

グールドの作品の中で最も高価なものとなったこの図譜は、ヴィクトリア女王に捧げられている。

アメリカ産ウズラ類鳥類図譜

A Monograph of the Odontophorinae,or Partridges of America

制作
ジョン・グールド
原画・石版制作
ジョン・グールド、H.C.リヒター
 
石版手彩色、石版墨刷
56.0 X 38.5cm
全1巻
1844-50年

1830年、ロンドン動物園にアメリカ産の生きている美しいカンムリウズラが贈られてきたことが、グールドにこのモノグラフを描かせるきっかけとなった。4年後、カリフォルニアからの帰国途次に非業の死を遂げた、植物学者で探検家のデヴィット・ダグラスの遺品からツノウズラの標本3体が出てきたこともこの企画を進める一助となったと思われ、その後グールドは1843年にフランス・ベルギーなど欧州をめぐり出来るだけ多くの標本の収集に努めた。

その結果『アメリカ産ウズラ類鳥類図譜』では、それまで11種しか知られていなかったアメリカ産ウズラに20種以上を加え、35種を紹介できることとなった。グールドは、モノグラフの中で3種を序論部分で扱い、他7属32種については図版と細部にわたる解説を付している。3分冊にわたって出版された32図版の挿絵は、すべてリヒターが担当した。

アメリカ産ウズラ類は、ブラジル南部及びウルグアイ北部からカナダ南部まで分布し、熱帯、亜熱帯雨林、草原や農耕地に生息している。殆どの種が日中に行動し地上生活を営むが、幾つかのものは夜間に高い樹上で過ごすと考えられている。繁殖は主として地上で行い、一雌一雄制である。餌は主に植物の種子や若芽、つぼみ、そして昆虫などを食する。集団で生活する種の中には、餌をめぐって雄同士が激しく争い合うものもあり、モノグラフ中のツノウズラの図版にも、つがいの背景で闘争中の雄3話の姿が描かれている。基本的にカモフラージュに適した冴えない鈍い羽色をしているため、グールド鳥類図譜の中では一見地味に見える作品だが、個々のウズラが持つ冠羽の独創的な形や、体羽の色彩のコントラストに思いがけない美しさを発見する図譜である。

この図譜は、ナポレオンの甥にあたる博物学者カニーノ及びムシニャーノ公、シャルル・リュシアン・ボナパルト公爵に捧げられた。

ハチドリ科鳥類図譜

A Monograph of the Trochilidae,or Family of Humming-birds

制作
ジョン・グールド、R.B.シャープ
原画・石版制作
ジョン・グールド、H.C.リヒター、ウィリアム・ハート(補遺担当)
 
石版手彩色(図版によっては金彩?に手彩色の部分あり)
56.8X 38.9cm他
全6巻
5巻
360図版
1849-61年
/ 補遺1巻
58図版
1880-87年

ハチドリは、アメリカ大陸全土にわたって分布する小さな宝石を思わせる鳥である。日の光に反射して様々に色を変える金属光沢のある羽をもち、短い足に細く長い嘴、空中に止まって前後に羽ばたきながら花の蜜を吸う姿は、鳥というより虫を思わせる。和名も英名のHummingbirdも、停空飛翔時の羽音からきているようだ。餌は蜜の他に小さな虫を食べることもある。

標本として海を渡ってきた小さな鳥の輝く羽に魅了されたグールドは、やがて膨大な数のハチドリ標本を収集し、1851年、ロンドンで第1回万国博覧会が開催された折には、リージェントパークにあるロンドン動物園に特設会場を設け、そこで1500体にもなったハチドリ標本を公開展示した。展覧会は、その年だけでも75000人が訪れ、ハチドリの美しさは多くの人々を魅了したという。

1849年から刊行された『ハチドリ科鳥類図譜』は、全5巻内に360図版を含む大規模な図譜となり、10年余をかけて25分冊の出版を完了した。ハチドリだけに焦点を当てて作製されたモノグラフとしては、110種ほどを取り上げたフランス人、R.P.レッソンの『ハチドリの自然史』(1830 – 1832)に次ぐ2番目の作品となったが、記載された種はレッソンの図譜の二倍以上にのぼった。印刷は250部に限定され、再版もされなかった。

グールドは図譜出版も完了に近づいた1857年、生きて動いているハチドリを見るという、長年の夢をかなえるためアメリカ、カナダへの旅行を試みた。フィラデルフィアのバートラム庭園で飛び回るノドアカハチドリを見たグールドは、その「強力な意図に動かされている機械の一部を思わせた」独特な動きに驚きと感動を覚えたようだ。

『ハチドリ鳥類図譜』出版から20年後、続編ともいうべき『ハチドリ科鳥類図譜ー補遺』が出版された。これは、1861年以降に発見されたハチドリをまとめたもので、1887年から7年の歳月をかけ58図版を5分冊で出版した。グールドの病状がかなり悪くなっていたため、グールド自身が出版できたのは最初の1分冊だけで、残りは彼の死後、若い友人であったシャープの文責にて出版された。絵師はハートであったが、殆どの図版はグールドの生前に描かれていたため、一部のものを除いてJ.Gould & W.Hartと二人のサインが入っている。

図譜のハチドリは基本的に一種一図版で、『補遺』を含めた418図版内に419種が描かれている。

アジア鳥類図譜

The Birds of Asia

制作
ジョン・グールド、R.B.シャープ
原画・石版制作
ジョン・グールド、ウィリアム・ハート、H.C.リヒター、ヨゼフ・ヴォルフ
 
石版手彩色
55.9 X 39.2cm
全7巻
530図版
1849-83年

グールド鳥類図譜の中で、出版が完了するまでにかかった年月が最も長かったものがこの『アジア鳥類図譜』であり、最終の35分冊目を出版するまでに34年という歳月を経ている。これは、当時『オーストラリア鳥類図譜』を完成したグールドが、『ハチドリ科鳥類図譜』と哺乳動物の図譜である『オーストラリアの哺乳動物』を手掛けながら、『アメリカ産ウズラ類鳥類図譜』にも取り掛かり始めていたため多忙を極め、年1.2回しか印刷が出来なかった都合による。図版はすべて完成させていたものの、グールドは32分冊を刊行した1881年に死去し、残りはシャープの手により序文及び序説も加えて完結された。

「アジア」と一口に言ってもその範囲は広大であるが、本図譜の鳥類についてシャープは、「西はパレスチナから、東はモルッカ諸島から」より採集されたものを「アジアの鳥類」とするとしている。日本、インドネシア、中国、ネパール、インド、マレーシア、さらにはロシアといった地域も含んでおり、現在のアジア地域の概念と基本的に大きな差異はなかったことがわかる。極寒のツンドラ地帯や熱帯雨林の広がる多湿な熱帯地域、乾燥高原地帯や砂漠地帯など、豊かで変化に富む自然環境の中には非常に多様な鳥類画生息している。

この図譜が出版され始めた頃より、アジア地域の鳥類学は急速に発展を遂げていく。未踏の大地であった中央アジアや中国、ミャンマー、フィリピン諸島などの諸地域において探査が行われ、鳥類目録の作成が進められたり、日本についても、テミンクとシュレーゲルの『日本動物誌』によって100種ほどの鳥類が紹介されている。1年間に発見される新種鳥類の数にしても膨大であったと思われる。現在アジア地域では2700種ほどが記録されているが、グールドが『アジア鳥類図譜』を完了したころまでには、恐らくすでに2000種近い鳥類画確認されていたのではないかと思われる。

『アジア鳥類図譜』では、全7巻530図版内に530種を描いている。図版はリヒターと、『ハチドリ科鳥類図譜』で色付け師として参加したウィリアム・ハート、そしてグールドよりその画家としての才能を賞賛され起用されたヨゼフ・ヴォルフが担当している。

グールドはこの図譜を、長年にわたる科学知識への貴重な貢献に対する感謝として、東インド会社へ捧げている。

イギリス鳥類図譜

The Birds of Great Britain

制作
ジョン・グールド
原画・石版制作
ジョン・グールド、ウィリアム・ハート、H.C.リヒター、ヨゼフ・ヴォルフ
 
石版手彩色
56.6 X 40.8cm
全5巻
367図版
1862-73年

異なる大陸の鳥類、そして非常に美しい色彩をもつ外国産鳥類のモノグラフを描き終えたグールドは、次の作品として、いよいよ自国、イギリスの鳥類を描くことに取り組み始めた。

英国の変化に富んだ鳥類相は森林地帯や荒地、湖水地方など地域性豊かな大地を反映したもので、春秋には多くの渡り鳥の中継地にもなっている。グールドは序論の中で、「英国の全鳥種はかなりの正確さで350種だ」と述べているが、この図譜では全5巻367図版で348種を取り上げている。図版枚数に比べて種数が少ないのは、1種につき成長羽と幼鳥羽、夏羽と冬羽の違いを2図版に描き分けているものが多いからである。

プリドー・ジョン・セルビーの優れた『英国鳥類図譜』(1823 – 33)を見ていたにもかかわらず、グールドはかねがね、英国産の鳥類が正確に描かれたことはないと言明しており、『イギリス鳥類図譜』では従来あまり重要視されなかった雛や卵、または巣の図を数多く描き、より完成度の高い作品を作り上げた。およそ30年前の『ヨーロッパ鳥類図譜』と比べてみると、449図中巣や雛を描いているのは約10図だったのに対し、『イギリス鳥類図譜』では全367図版中約60図、巣のみを描いてあるもの、水鳥やシギ・チドリ類のように巣内ではないが雛づれでいるものを含めると、約120図にも及んでいる。鳥を描く視点だけでも、大きく異なっていたことがわかる。

図版は『アジア鳥類図譜』と同様、リヒター、ハート、ヴォルフが担当している。美しい図版の数々は、また、英国の失われた自然をも描き残している。農業や林業の発展にあたって英国で行われた様々な試みは、本来あった自然環境を大きく変え、それに伴って多くの森林性の鳥類や沼沢地方に生息していた鳥類が姿を消したのである。当図譜の序文の中で、グールド自身も商業的な目的のため(主に装飾としての利用)に鳥類が脅かされていることを挙げて保護の必要性を訴える一文を載せているが、生息環境の変化による鳥類の変遷が著しくなってくるのは、さらに後の時代となる。絶滅したオオウミガラスや、現在では稀な来訪者となったツル類やヘラサギなどが描かれた図版に、そうした鳥類相の変化を見るのも興味深いことと思われる。

全部で500部が印刷されたこの作品で、彼は12人の君主を含む1000人以上の購読者を確保した。これは他のどの作品よりも多い人数であり、グールドの最も成功した作品といえるであろう。この著作をグールドは、一生の友であり後援者であったローランド・ヒル子爵に捧げている。

ニューギニアおよびパプア諸島鳥類図譜

The Birds of New Guinea and the adjacent Papuan Islands including many new species recently discovered in Australia

制作
ジョン・グールド、R.B.シャープ
原画・石版制作
ジョン・グールド、ウィリアム・ハート
 
石版手彩色
56.5 X 39.4cm他
全5巻
320図版
1875-88年

グールドの最後の作品となったのは、グールド作品の中でもっとも絢爛豪華とも評される、南国の島の鳥たちを描いた『ニューギニア及びパプア諸島鳥類図譜』であった。グールドの死後に完成することとなったこの作品は、1875年から6年の歳月をかけて12分冊141枚のグールドのスケッチがハートにより石版画にされたところで.シャープが受け継ぎ、1888年までに残りの13分冊、総数320枚のプレートを出版し終えた。シャープは更に序文を担当した他、ニューギニアとモルッカ諸島で行われている動物学的な研究についての草稿をまとめ、序説に記載した。

ニューギニアは、世界で2番目に大きな、そして最も高地の島であり、複雑な地形の中に熱帯雨林と万年雪を抱く山とが共に存在する、大自然の恵みあふれる場所である。鳥類を始め豊かな生物相を有するこの地域は、ナチュラリストにとって大きな魅力を提供し続けてきたが、ダーウィン進化論の片翼を担ったアルフレッド・ラッセル・ウォーレスがフウチョウの求愛行動をヨーロッパに紹介したことも、本国の人々の好奇心をさらにかきたてたのではないだろうか。

全5巻320図版中にハートの手によって320種が描かれているが、鳥種としては殆ど森林性の陸鳥を扱っており、その中でも、フウチョウ、カワセミ、ヤイロチョウ、インコ、ハト類など、ニューギニアで注目すべきと同時に、色彩の鮮やかな種類に重点がおかれているように思われる。

表紙の副題には「近年発見されたオーストラリア産鳥類の新種を含む」という文が添えてあり、購読者向けの宣伝広告によると、グールドは当初この作品を、20年ほど前に出版された『オーストラリア鳥類図譜』の補遺のような形で出版しようとしていたことがわかる。

全巻にわたりエキゾチックで美しい鳥たちを描いた『ニューギニア鳥類図譜』は、大変魅力的な図譜であったにも関わらず、そのあまりの奇抜さや贅沢な描写のためか、『イギリス鳥類図譜』程には購買者たちに評価されなかった。

グールドの図譜を含め、ニューギニアの鳥類については多数の著作がなされ、いまだに多くの鳥類学者をひきつけているが、この図譜が出版されて1世紀以上がたってなお、この地の鳥類に関して未知なことが多く、鳥類学的に未踏な地域も残されている。